6 我、仁を欲すれば、斯に仁至る
われ、じんをほっすれば、ここにじんいたる
本日ご紹介する論語は「我、仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る」です。
この意味は「自分が仁のある人間であろうと欲すれば、すぐに仁者になれるものである」ということです。
「仁」は、人間の最高の徳と考えられています。人間と獣の違いは、心の中に「仁」があるかどうかによります。人間は、相手を思いやる気持ちを持っていますが、獣にはありません。人間も動物ですから、弱肉強食の世界で仕事をしていると、相手を思いやる気持ちを失ってしまうこともあるでしょう。仁は、遠いところにあると漠然と思っているかもしれません。
しかし、自らが仁を欲することによって、仁の心を持つことができるというのです。仁は遠いところにあるのではなく、自分の心の中にあるのだから、仁のある人間になりたいと思うことによって仁者になるということです。
私たちは、仁を身につけたいと思って、いろいろな本を読みますが、本を読んでも、知識として知っていても、仁のある人間になることはできません。仁のある人間になるためには、自らが仁のある人間になりたいと強く願い、日々の生活の中で実践することが大切です。
孔子は、仁が最高の徳であると説いていますが、徳とは「仁義礼智信」を指します。具体的に見ていきましょう。
義:私利私欲にとらわれず、正しい行いをすること
礼:社会秩序を円滑に維持するために必要な礼儀作法
智:学問に励み、知識を得て、正しい判断が下せるようにすること
信:約束を守り、常に誠実であること
論語に「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」という言葉があります。「自分がして欲しくないことは、他人にしてはならない」という意味ですが、私たちは、こうした言葉を自然と身に付けています。親から、祖父母から、恩師から教えられて、身に沁みついているのです。これが、仁の心です。私たちは、こうした教育によって人間としての正しい生き方を学んできたのです。
「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉も聞いたことがあると思います。これも論語の一節です。これは「人の道として為すべきものと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ」という意味です。人の道とは「仁義礼智信」のことです。私たちは、こうした徳を身につけるために、仕事や家庭、地域での生活を送っているのです。
繰り返しますが、徳を身につけるための実践としては、次のステップを踏むことになると思います。
1:私は徳のある人間になりたいと強く願う。
2:徳のある人間として行動する。
3:毎日の行動を習慣とする。
4:習慣が自らの性格となり、徳のある人間となる。
職場には、いろいろな人がいて、多様な価値観があります。激しい感情をぶつける人もいるでしょう。厳しい口調で叱責されることもあるでしょう。その中で、徳のある人間として振る舞うことが、自らを徳のある人間として成長させてくれるのです。徳のある人間となるために、日々何をしなければならないのか、一人ひとり考えてみましょう。